114 2003.09.12-15 ★★ 槍ヶ岳 北鎌尾根コース縦走 ★★
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2003年9月13日(土)3:20、大天井ヒュッテを出て貧乏沢入り口を目指した。
中秋の名月は、台風の影響により、流れの速い雲に翳りを見せていた。

私が北鎌と出会ったのは、浦和南山の会に参加するようになり、その先人たる坪山夫妻に出会った事から始まった。
自費出版の非売本の「おちこちの山」である。先人達が私の憧れであった槍ヶ岳へのアプローチに、一般ガイドブックには一切説明されていない、耳慣れないルートを辿って記録していた。それが、北鎌尾根であった。
槍ヶ岳は、今更説明することも無かろうが、最も優しいアプローチの槍沢から辿るルートの他、東西南北の4つの尾根が綺麗に派生している。その内の3つの縦走路は、東鎌尾根、西鎌尾根、奥穂・北穂から延びる主脈縦走尾根と一般登山者が数多く辿っている。そんな中、北鎌尾根だけは、異彩を放っていた。一般登山者は、勿論の事、容易に誰もを受け入れるようなルートでは無かった。経験豊富な山の達人達が挑む尾根であり、場合によっては、それらの達人でさえ、命に関わる遭難に遭うこともあるという難所であった。

深夜3時過ぎに貧乏沢を目指した我々に、月の光は有り難かった。貧乏沢の入り口は、間違わずに発見できた。気を引き締めて入り込む。始めは、ハイ松のブッシュの中に踏み跡がハッキリと刻まれていて、全く不安は無かった。直ぐにブッシュは無くなり、沢のゴロゴロの岩の中に放り出された。それもかなりの急勾配であった。僅かに踏み跡らしきものを見つけ辿るが、直ぐに不明瞭となり途方に暮れてしまう。
不安なままに行く先を、兎に角下方にとりながら辿るしかなかった。前後に別なパーティの登山者達が居たら、落石の恐怖は計り知れないと心の底から実感した。私も何度か自ら落石を起こし、その岩の行方を追ったが、急勾配で鋭く落ち込む先に消えてゆき不気味で有った。後には、硝煙の臭いが残り背筋がゾッとしていた。
枯れた沢も下方に近づくにつれ、湿ってきた。右からの沢の合流点では、滝となって合流していた。この頃は、辺りもすっかり明るくなってきて、気が楽になってきた。
(※途中、段差の大きい箇所があり、慎重に降った。巻き道は、左に大きく巻き込む踏み跡があった。)
沢の水量がドンドン増えてきて、所々は巻き道へ入り込まざるを得なくなった。巻き道も深く入り込んでしまうとドンドン踏み跡が続いていて、沢からドンドン離れて遠くなっていく。余り深く入り込まない様に、沢に戻る様にルートを取り直して降って行った。
前方に大きな沢と合流し、左方が上流の様で、天上沢(水俣川)出合の様であった。
天上沢上流を眺められる場所で、小休止しながら現在地を確認した。それにしても、標識もなく、思い描いていた情景とは余りに異なり不安になった。それでも、上流に向け歩を進めることにした。20分ほど上流に向け辿ると北鎌沢出合に着いた。それまでの不安は解消し、ホッとした。自分の居る場所に確信が持てたからだった。
北鎌沢も水量が多く、天上沢に流れ込んでいた。登っていくと左俣との分岐にさしかかった。左俣は水量が多く沢幅も大きかった。でも、大きな岩が多そうで、急勾配に感じた。右俣を辿らなければならないと教えられていたので、惑わずに右へ進む。右俣の水量は、とたんに少なくなった。いよいよ枯れようという所で、飲んでみた。美味かった。空のペットボトルを満たして先を急いだ。北鎌のコルらしき峠が上方に見えだした頃、足場が急なガラ場でとても悪くなった。左右の何れかに逃げなければ直立、いや滑り落ちそうだった。左へ行ったり、右へ行ったりしながら漸く登山道の踏み跡に辿り着いた。北鎌のコルより下方のルート上であった。北鎌のコルらしき所には木々の中にテント一張り分の空地が淋しくあり、休憩地としても決して広くない所だった。左手の北鎌沢右俣の登りを見下ろしたが、とても直登できそうには見えなかった。
右側のテント場との間に急な勾配の登り踏み跡が細くついている。稜線への入り口である。
(※奥穂登山時ザイテングラード右方の涸沢岳下部から無謀に強行下山してしていた夫婦が居た。その時の事を思い出す様な、右俣コル直下の登りであった。彼らは下っていたが、私達は登っているという違いだけで、同じ状況であった。)
北鎌尾根は、迷ったら稜線を辿る様に教えられてきたが、トラバースする踏み跡が沢山あった。最初の目印となる「独標」を、先ずは目指す事にした。写真等で見た独標手前からの絵と重なる風景には出会えなかった。これが独標かなと思っても、その中へ踏む込むと全く異なるルートを辿る事になり、何処を辿っているのか判らなくなった。トラバースしていくとかがまないと通れない場所に着いて、其処は先人に聞かされていたので、間違ったルートでない確信が持ててホッとした。しかし、其処だけでその先は、独標ピークへ続く「残置ロープのあるチムニー」は、発見できなかった。今思えば、かがんで抜けたトラバースからそれほど行かずにチムニーは有ったのだろう。
行き過ぎていると判断し、2〜3度行ったり来たりしチムニーを探し、上部への足掛かりを探した。この間相当なタイムロス、アルバイトとなってしまった。
(※北鎌のコル手前で1時間、チムニー探しで1時間のタイムロス、アルバイトをしてしまった)
残置ロープは、みつからなかったが、チムニー状になった所で、上部へ登ってみた。登れるだけ登ってみると、可成りの上部にトラバースする踏み跡が出てきた。その踏み跡を辿りながら稜線に出た所は、独標らしきピークは見当たらず、前方・後方と確認しようとしたが、ガスが掛かりハッキリと位置を確かめられなかった。コンパスによって南方を見定めて進むしかなかった。
(※ヒョイと広場に出た。左手に岩山を巻く様に辿る先にあった。右手、前方に小ピークが確認でき、そのピークに続く踏み跡もしっかり付いていた。しかし、辺りをよく見ると左手の岩山は、更に左手方向に巻いて辿る踏み跡が続いていて、ガスの中に朧気ながら稜線が続いている様だった。この時、コンパスで確認してみると、南方は左手の稜線方向を示していたのである)
二つの痩せたピークが隣接する場所があった。間の痩せた急勾配の下りを辿りながら、現在地が判らないままに先を急ぐしか手立てはなかった。
独標から北鎌平迄は、スムーズに辿れば2時間30分程で通れるらしい。独標の位置は、ハッキリ判らなかったとはいえ、独標らしき所は、過ぎている筈なので、そろそろ北鎌平に着いても良さそうだと思った。時計は、15時過ぎを指していた。稜線から遠く離れた下方のトラバース道を辿っていたので不安であった。ガスでハッキリと判らなかったが、大槍・子槍が、間近に見えた様な気がした。
「もうこんなに近づいているのか?」
「この辺りからだと、稜線を辿るのが正しいルートではないのか?」
「こんな下部のトラバースルートを辿っていて間違いないのか?」
と、とても不安であった。
ここでも、何度も行ったり来たりと上部へのルートを探してタイムロス・アルバイトになった。
16時過ぎになって、辺りも暗くなりかけて来たので、この日の行動を諦めて、ビヴァークする場所を探した。トラバースルートから3M位上がった所に岸壁の中、窪みがあり多少の風と直接の雨が防げる所があった。
不安な夜では有ったが、ツェルトを被り服を着込んで寒さに備えると、手足の冷たさは感じても、身体全体が寒いとは感じなかった。
(※足用小型ホカロン1組をシャツの胸ポケットとシャツの内側腰部分の2カ所にあてがった。持参していたウィスキーを舐めながら、寒さを凌いだ。昼弁当の残りは、食欲が減退しており食べられなかった。口には出さなかったが、暖かいものを口にしたいと思っていた)
暗い中でツェルトの外が明るくなった、月が出た様だ。ウトウトしていると雨音で眼が覚めた。雷を心配したが無かった様だ。雷が鳴る様で有ればどうすれば良いのかと考えるとゾッとした。雨の降る中金属類を身から剥がし、雨具だけで風の吹き上げる岸壁の真っ直中!とても口に出来なかった。フト、朝を無事に迎えられるのかと不安になったが、どうしようもないのでフテ寝した。
5時過ぎ、辺りが明るくなってきたので行動開始する事にした。一晩中、腰掛け状態で足を踏ん張っていたので、身体中が硬くなっていた。目覚めのタバコに頭がクラクラして足下がふらついて危ない。少し眠気を取って行動を再開した。
昨日は、夕闇迫り、不安が募り、トラバースルートを進むのを躊躇っていたが、今朝は、行ける所まで行ってみる事にして、踏み跡を辿った。踏み跡は、しっかりしていた。
暫く進むと、漸く登り口らしき目印のケルンと上部に伸びる踏み跡に出会えてホッとし、登り始めた。
稜線上に出て、槍を見上げるが、ガスの中でハッキリ見えなかった。槍と反対側を振り返ると北鎌平とおぼしき台座が100M程後方に見えたが、とても行く気にならなかった。
兎に角、先を急ぎたかった。大きな岩が重なる急勾配の尾根筋を慎重に登って行く。
レリーフが見えた。「Berg Heil」の「穂先は近い。気を抜かず頑張れ。 1972.10.29 FAC.A」と、有る様だ。ホッとして嬉しくなった。槍への道筋は、しっかりマークが付いている。
周りがガスで何も見えず、高度感の無いのが救いだったのだろうか?
険しい岩の登りも、何とかクリアして登り通す。聞き慣れたチムニーも見つけはしたが、マークが別な右側に付けられていたので、右側を辿った。その後も、マークは、右寄りに付けられていて、頂上の祠の裏側に出ると思われた。そこで、先ほど見つけていたチムニーの上部を見に行った。大きく、左側に回り込む位置に当たるが、慎重にトラバースし、確認した。
回り込んでいくと、木の杭があり、その上部で声が聞こえた。見上げると、穂先で休む人達が見えた。ルートを見ると易しい登りで済みそうで、生還できると確信できた。生還できる喜びで胸が一杯になる。
祠の横から穂先に出て、一安心。達成感よりも安堵感の方が、大きかった。
ホントに一時は、遭難もあり得ると不安で一杯だった。
穂先での小休止の後、肩の小屋を目指し、ユックリと下って行った。

(※槍の穂先への一般道の梯子は、上りと下りの専用梯子が設置されていた。少しでも渋滞緩和と安全向上を考えての事と思われる)
(※この時、台風14号が朝鮮半島に上陸し、13日・14日は、日本海を通過する影響を受けていた。燕山荘、大天井ヒュッテで台風の日本海通過時の影響を聞いていたが、大事が無くて良かった。)

キーワード:
・無謀、幸運、技術不足、リスクの高いルート、遭難
・貧乏沢下降、北鎌沢右俣登攀は、共に明るい時が無難である。特に初めての人。
(一日で通り抜けようと早立ちしたが、初めての貧乏沢下降は、不安が募った)
・ビヴァークツェルトは、軽量ではあるが居住性が悪い。
(テントと比べてどちらが良いのか?今でも判断しかねる)
・先人のレポートの読解力不足
・北鎌沢右俣上部は、滑り落ちそうで、右側の木々が生える場所を藪漕ぎしながら登った。
(北鎌のコルへの直登が、正しいのか、どうか、不明)
・北鎌沢右俣の水は、美味しかった。