63 2001.09.7-10 ★★ 奥穂高岳〜西穂高岳縦走 台風15号で西穂断念 ★★
2001年9月7日(金深夜)〜10日(月) 晴、雨、台風

計 画 表
概 要 報 告 書

各位
西さん@夫です。

始めに米国同時多発テロにおいて、亡くなった方々とそのご家族の方々に対し、哀悼の意を表します。又、今なお続くあらゆる救出について心から激励し、1日も早い回復を祈念致します。

さて、先日終了致しましたメイン山行の概略報告が、まとまりましたので送信させて頂きます。報告が遅くなってしまい、皆さんにご心配等をお掛けした事をお詫び申し上げます。

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浦和南山の会 メイン山行 概略報告
by 西さん夫@メイン山行実行委員長?

予定通り、9月7日(金)23時新宿発、上高地行き高速バスに乗り込む為、集合時間の22時に6名が集合した。
予定の坪○先生は、14:20に☆子さんへスイッチする旨の連絡が入り、準備していなかった☆子さんも遅れず無事集合。
☆子さんをリーダーに、サブリーダー西さん@夫、セッちゃん、篠さん、潔兄ィ、山さんの6名である。何れも精鋭である。

定刻の23時に出発したバスは、途中、談合坂SAと、一般道の諏訪付近のドライブインでトイレ休憩し、釜トンネルゲート前に4時30分頃に着き、5時の開門を待つ。
上高地バスターミナルに着いて、記念撮影をする。9月8日5時12分。
夜露に濡れたベンチを避けて、2階レストラン前のベランダで朝食を摂り、6時に出発する。
今日は、天気は良さそうだ!河童橋からの眺めは素晴らしかった。
明神岳の迫力、前穂から奥穂に延びる吊り尾根。
奥穂から西穂への幾つもの凸凹尾根。焼岳もくっきり。

先ずは、明神を目指し身体をウォームアップする。明神で小休止。
更に、徳沢を目指し「氷壁の宿 徳沢園」の前で記念撮影。
この山行に向けて「氷壁」を読破していた山さんも感慨深い様子。
更に現在読み耽っている「孤高の人」の内容に、今回の山行をダブらせて想いに耽っているようだった。
徳沢園ではお目当てのソフトクリームは、シーズンオフを迎え販売しておらず、一同残念な想いにくれた。
先が長い為、小休止の後徳沢を後に横尾を目指す。
横尾には、9時10分頃到着し、順調なペースである。
横尾からは涸沢を目指す為、横尾までの平坦な道とは違い本格的な山道に備える。
山さんは、此処でスニーカーから登山靴に変える。
私も、靴紐を締め直して備える事にした。
先ずは、本谷橋までの1時間を左手の屏風岩の絶壁に見守られながら、樹林の中をユックリとした登りの道を登ってゆく。
やがて、前方に北穂高の東陵が顔を見せてくれると本谷橋に到着。
渡り終わったところで川のせせらぎを聞きながら小休止。

さて、ここからが本格的な登りになる。先ずは、Sガレを目指す。
関西方面から来ていた若い女性二人組が後に付いていて、少々ピッチを上げて登っていた。
「もう少しユックリ!」との声もあり30分程登ったところで、後続の2人組お嬢さんに先行してもらう。
漸く、Sガレらしき処に出たので小休止する。
よく見ると、今晩宿泊予定の穂高岳山荘が奥穂と涸沢岳の間のコルに見えた。
涸沢槍も見えていた(と、思うのだが?)。
昼食休憩予定の涸沢ヒュッテの吹き流しも見えた。後1時間弱。
雄大な涸沢カールが段々と大きくなり、やがて涸沢ヒュッテに到着。
予定より少々早めの到着に、喜びながらも少々バテ気味だった。
持参のお握り等の他に、小屋のラーメンとおでんやトマトを購入し、ビールで軽く乾杯する。
腹ごしらえをしっかりして最後の登りに備える。
長年憧れていた涸沢は、天候にも恵まれ素晴らしい景観を魅せてくれた。
北穂高、涸沢岳、涸沢槍、奥穂高岳、前穂高岳と3千Mの峰峰に囲まれた、一大パノラマに囲まれた広い庭になっている。

目指す、「白出のコル」に続くザイテングラードには、パノラマコースをルートにとって取り付いてゆく。
途中、北穂の東陵の「ゴジラの背」を☆子さんから教えてもらう。
涸沢小屋からのルートとの合流点で早めの休憩を取った。
皆バテ気味になってきた。
少々、予定より速いペースで順調に登ってきて、余裕が有るとの想いもあるが、本格的な急な登りについつい休みがちになる。
ザイテングラード取り付き部は、前穂の北尾根が特に美しく見えた。
☆子さんは、皆に5,6のコルを説明してくれ、取り付き部のザレ等を教えてくれた。
☆子さんは、既にこの北尾根〜前穂はやっている。
更に登ると右手に「獅子岩」が丁度真横に見え、北穂の南陵がよく見えた。
此処を下りのルートとして、取っている人達が見えた。
余談であるが、よく見ると獅子岩の手前のザイテングラードとの中間点に中年過ぎ程のご夫婦らしき二つの影が見えた。
奥さんは、しゃがみ込んで身動きできない様子。
旦那さんは、立って奥さんを先導するように進むが、捗らない様子。
ザイテングラードから見ている人達は、一様に「何で、あんな処に?」
「もっと、尾根との取り付き部の方が安全では?」と、心配していた。
一人が「大丈夫か!」と声を掛けると旦那さんが手を振った。
丁度、下山する3人組が居たので、判る範囲で状況を伝え、手助けしてもらうように頼み、先を急いだ。
ザイテングラードは、岩をよじ登ったりトラバースしながらドンドンと登ってゆく。
一寸した逆層のスラブもあった。
「あと、20分」岩にペンキで書かれてあった。
ここからが長かった。
時計を見ていたセッちゃんは、「確かに20分しか掛からなかった。」
と、言っていたがとても長く感じた。
やっとの想いで無事に穂高岳山荘に到着。15時30分。
バテ気味にしては、予定通り到着で、皆、大した物だと思った。
宿泊の受付をすませ、個室をゲットする。+10,000円。
空いてれば個室希望と、予約をしていたが、受付はスムーズだった。
小屋の前のテラスに集まり、ビールで乾杯し一日の労を労う。
夕食までには時間があるが、部屋でユックリし明日の縦走に思いを馳せながら、ビール・お酒の杯を重ねた。
夕暮れを待って暮れなずむジャンダルムを見に行ったが、生憎のガスでハッキリとは見えなかったが、なんとか天気も持ちそうだった。
夕食後、天気予報を確認した。午前中40%、午後60%の降水確率。
気になる台風は、15号が本格的に北上してくる模様。
16号は、沖縄から中国大陸に向かい影響は無いようだった。
何とか、明日は大丈夫ではないかと皆と話しあい、早立ちを確認した。

前日約束した4時30分起床には寝坊をしたものの、朝食を済ませ6時10分には出発した。
10分しか遅れていない。
5時過ぎに表に出てみると、風は強かったがガスは出ていなかった。
小屋裏に回りジャンダルムを見たが、ガスもなくハッキリと見えた。
日の出前だったので、後で写真は撮る事にして食事に戻った。
小屋を出発する時は、ガスが一面に出ていて風も強くなっていた。
「大丈夫かな?」と思いながらも「無理はしないから!」と、皆に言いながら、穂高岳山頂(3,190M:日本第3位峰)を目指す。

小屋からの登りは、最初から岩をよじ登り、梯子もいくつもあり大変だった。
幾つかピークがあり一寸した鞍部を通る時、横風が強いところがあった。
漸く、頂上の祠が見えてきた時は、ガスではなく横殴りの雨になっていた。
頂上直下の岩陰で西穂縦走又は前穂縦走、撤退について皆の意見を聞いた。
岩陰にいたが風は強かった。
西穂方面は、ガスで視界は50M程度だった。
「やはり無理だろう!」
それでは、「前穂に行こう!」と言う事になった。
ピークでの記念撮影をする為、登ってみる。
祠のあるピークは、狭かった。
祠の周りには詰めれば6人並べそうだった。
しかし、前穂側からの強風が凄くて、精々2人居るのがやっととの判断で、最初に私達、西さん&セッちゃんが立った。
次に、☆子さんと潔兄ィが立った。
最後に山さんと篠さんが立った。
祠の有るピークの反対側に方位盤の有るピークがある。
其処では6人が立っても大丈夫そうだった。
しかし、祠ピークでの強風を目の当たりにした後では、誰もそんな余裕は持ち合わせていなかった。
元の岩陰に戻ると、もう一度確認した。
「前穂縦走は大丈夫か?」
「風が思ったより強かった。飛ばされるかもしれない!」(7時頃)

「それでは、危険と見なし”撤収”します!」皆、ホッとしたようだった。
小屋までの下りは、何とか手こずりもせず無事到着。
いつもは頂上で登頂のお祝いをし堅く握手するのに、今回はそんな余裕は無くなっていた。
改めて、無事に小屋に着いた時固い握手を交わした。
「登頂おめでとう!有り難う御座いました!」

後は、涸沢を経由し何処かに1泊すれば良かった。
気が楽になった。
小休止し、宿泊予約していた西穂山荘にキャンセルの電話や、宿泊場所を決めて予約の電話をしたりした。
☆子さんの好意で「日本山岳会上高地山岳研究所」に予約できた。
通称「山研」と呼ばれ、上高地では知る人ぞ知る「宿泊所」だが、食事は無い。
研究所として建築許可を受けて建てた物で、用途外の飲食販売は御法度になるとの事だった。
そこで、穂高岳山荘で作ってもらった弁当を「山研」に持ち込み夕食とし、昼食は横尾以降の山荘で食べる
事に決めて出発する事にする。(8時20分頃)

ザイテングラードの下りは、上部はガスの中で眼鏡が直ぐに曇ってしまう。
煩わしかったので眼鏡を外して降りていった。
太股や脹ら脛の筋肉が多少張った感じがあり、膝に堪えた。
下りでは、涸沢小屋を目指し、パノラマコース分岐から直ぐと思っていたら案外遠かった。
約20分少々掛かったようだった。
涸沢小屋で小休止し、着ていた雨具などを乾かしたりした。
☆子さんが「悔しいからパノラマコースに行こう!」と、言うので皆は同意しパノラマコースへ向かう。
この時確認した計画では、14時に徳沢に着き遅い昼食となる。
涸沢小屋を10時過ぎに出発し、涸沢ヒュッテでトイレ休憩し、パノラマコース分岐を10時30分に通過した。
嫌な予感があったが先を急いだ。
屏風のコルまでは、前穂の北尾根北部を巻くように前穂北尾根取り付き部を目指し、嫌らしい登りが続いた。
よく言われる残雪期要注意点のトラバースだろう。
漸く尾根に出てそのパノラマを目の当たりにして感激した。
素晴らしい眺めだ。
涸沢から北穂の南陵・東陵、屏風の頭、梓川から上高地と素晴らしかった。
覆い被さるような前穂北尾根の迫力もなかなかだった。
しかし、この北尾根を見て「あれはジャンダルムですか?」と、聞いた人が我がパーティのメンバーに居た事は、寂しかった。
15分程進むと「屏風の頭」と「徳沢」の分岐点、「屏風のコル」に到着する。
この時、12時になっていた。
徳沢に14時には行けると思っていたが、此処で昼食にすべきであったと後で後悔する事になった。
甚だ、結果論ではあるが・・・。

さて、コルからの下りは時折雨が降る中を時に険しく、時に緩やかに徐々に下っていった。
奥又白の出合は、思いの外遠かった。
皆、下りで筋肉痛や膝が笑うようで足が重そうであった。
多分、私だけがそうであった訳ではないだろう。
奥又白出合に13時40分着。この時点で、14時徳沢着は叶わぬ夢となった。
此処から暫くは沢伝いに岩ガレを下り、時に藪こぎも有った。
梓川に近くなると、漸く、広い林道に出て快適な道のりとなった。
しかし、昼食を摂っていない我々は、しゃりバテで不快になっていた。
立ち止まると直ぐに腰掛けるようになり、煙草に火を付けた。
「先に行っといて、煙草吸ったら直ぐ行くから!」と、言い出す始末。
少々、ガッカリして「先に行ってビールを飲んでやる!」と、ブツブツ言いながら急ぎ足で歩いて行く。
と、セッちゃんが「皆で乾杯するんだから、一人で行っちゃ駄目よ!」と釘を差す。
無視して暫く歩いたが、雨が本降りになってきたので雨宿りがてら煙草に火を付け、皆が来るのを待っていた。
梓川右岸の道は、車が入れるようになっていて、広くて良く整備されていた。
漸く、「新村橋」が現れ徳沢も間近となった。
此処で、渡ろうとすると「後30分で明神だ」との声に「どうしようか?」と言う事になった。
そして、「新村橋」は渡れなかった。
此処も、後悔の第2弾であった。またしても結果論ではあるが・・・。

此処から、明神までが長かった。30分と思っていたのに着かない。
山さんは、「先発隊、偵察に行きます!」と、言い残して遠くなって行く。
追いかけるように付いていくが、100M程離されて追いつけない。
暫くして今度は此方に向かってくる。橋が見えるらしい。漸く明神に到着。
15時20分。明神橋で山さんのスナップを撮った。皆も漸く到着。
穂高神社奥宮の前を通り、「鳥居を見たら礼拝しなくちゃ」と、言う☆子さんを横目に先を急ぐように足を進めた。
申し合わせでは、明神池から「山研」がありその先に「嘉門次小屋」がある。
その小屋では「岩魚」の塩焼きが美味しいので、そこで遅い昼食と早めの夕食を一緒にする事になっていた。
しかし、明神池を過ぎる頃見渡す道筋には、それらしい物は見えなかった。
不安になり神社にお参りしたらしい一般観光客に問い合わせてみると、「嘉門次小屋は、神社の処ですよ!」と、教えてくれた。
一同「エェー!さっきの神社!」と、言うのと同時にクルリと回れ右して神社を目指した。
明神橋から10分位で着くと思っていたのに、直ぐだったとは。

改めて、神社の鳥居をくぐり念願の「嘉門次小屋」に到着。(15時35分)
ビールに岩魚の塩焼き、おでんと頼んで乾杯する。
「美味しい!岩魚も美味しいね!頭から尻尾まで全部食べられるよ!」
皆、大はしゃぎであった。なんと旨い岩魚であり、ビールだろうか!
さて、「山研」らしき物は近くには見えない。☆子さんが小屋の人に聞きに行った。
未だ未だ、先らしい。並行する遊歩道は行かずに林道を行かないといけない。
林道をズーッと行くとゲートがあって、その手前の右側にあるらしい。
一応、林道沿いに「山研」の看板が有るらしい。
「山研」には、ビールは有るが酒は置いていないそうだ。
そこで、嘉門次小屋でお酒を調達し「山研」に持ち込む事にする。
処が、ワンカップのようなお酒は置いていなかった。
宿泊客や食事の客用にコップ酒で販売しているだけだった。
何とか一升瓶で売ってくれないかとお願いすると、「山研」に宿泊するからと言って、特別に売ってくれた。
¥2,500円(一升瓶)は、安かった。
一升瓶は、重かったが好きだから苦にならなかった。
しかし、「山研」は、またしても遠かった。
漸く、ゲートで林道が塞がれて右側に洒落た建物が現れた。「山研」だった。
17時10分、無事到着。長い長い山行の一日が終わった。
後は、お風呂に入ってビールとお酒「嘉門次」で乾杯するだけだった。
天気予報を何度も見た。
台風は、接近しているが足が遅く停滞気味らしい。
上陸は、名古屋・紀伊半島方面になるらしい。
慌ててもしょうがないと諦めて、この二日間の苦労と西穂縦走の断念などについて話し、酒盛りが盛り上がった。
22時消灯に合わせ、借用した食器などを片づけて、融けるように床に着いた。

10日(月)セッちゃんは、朝早く起きてバス会社に電話した。
上高地発の新宿行き高速バスは、予定通り運行予定であるとの事。
一安心し、お茶を飲みながら、テレビのニュースと天気予報を何度も見た。
台風は、殆ど停滞していた。上陸先も相変わらず名古屋方面のようだった。
上信越道は一部閉鎖されていた。又、長野新幹線なども運休していた。
7時を過ぎる頃、小屋主が起きてきて、一刻も早く上高地から脱出すべきと忠告してくれた。
予約してある高速バスは、13時30分発であった。
それから、それより早く帰れるルートを探し、問い合わせしたりした。
取り敢えず、バスターミナルに行って予約バスを含めて運行状況を確認する事になった。
朝食もターミナルのレストランで摂る事にした。

8時過ぎに「山研」を出て、ターミナルには10分後に着いた。
ターミナルで予約バスを確認すると「予定通り運行予定です」と答える。
松本発の高速バスなどを問い合わせると、直接電話するように言われる。
多少不親切とは思いながら、予約のバスは運行するのだからと、先ずは腹ごしらえをする事になった。
朝食を摂りながら松本の高速バスに問い合わせした。なんと、全便運休。
「どうして上高地発だけは、運休しないんだろう?」皆、一様に不安であった。
でも、問い合わせした時にキャンセルすると払い戻しは、半額になる事。
予定の13時30分前に出発する事もあり得る事。
その連絡などは、ターミナルにいれば逐次アナウンスされる。
との事で周辺で待つ事にした。

10時30分頃、再度問い合わせしてみると、「運休になりました。」との答え。
私「何ーィ! 何で、何でアナウンスしないんだ!」と、怒り爆発!
私「決定したのは何時なんだ!」 バス「アノー。10時頃です。」
私「何、9時前に此処に来て問い合わせした時は、運行予定だと聞いた。」
私「周辺にいたらアナウンス有ると言うからずっと待っていたんだ!」
バス「連絡したんですけど。(リスト見ながら、自宅のTELナンバー有り)」
私「(携帯を見せながら)何も連絡無いじゃない!」
私「同じアルピコで『ワゴンタクシー』有るんでしょ。直ぐ呼んでよ!」
バス「それが、・・・。一寸待ってください。」
・・・・。
バス「タクシー2台で新島島料金で松本駅まで走らせますから、如何ですか?」
私「ウーム、・・・。仕方ないなぁー。じゃ、直ぐ準備してくるから宜しくね!」

慌てて、皆を掻き集めて運休とタクシーで松本駅に出発する事を伝えた。
上高地から新島島駅まで¥11,400円程度。そこから松本駅に向かう。
因みに上高地から新島島駅までのバス料金は、2,050円/人で12,300円。
新島島駅から松本駅まで680円/人で4,080円。合計16,380円。
乗り継ぎ割引料金が2,500円/人(片道)があり、15,000円。
タクシー2台で、23,000円と割高だが、乗り継ぎ無く、楽に、早く、着いた。
松本駅には、12時頃到着。取り敢えず、JRの運行状況を確認する。
「特急あずさ」や「長野新幹線」は何れも運休だった。中央本線も甲府までは運行しているが、その先は運休でどうにもならないらしい。
可能性は、名古屋経由・東海道新幹線と長野・直江津・越後湯沢・上越新幹線と、準ずるルートだけだった。皆で協議し、北回りを選択する。
12時丁度発も居たのだが、時既に遅し、次は、13時発だった。これをゲット。
松本13:00〜13:46長野:特急しなの(篠ノ井線)特急¥1,150円(自由席)
長野14:19〜15:50直江津:(信越本線(普通))
直江津16:35〜18:07越後湯沢:(北越急行ほくほく線(普通))
越後湯沢18:23〜19:18大宮:特急あさひ(上越新幹線)特急¥2,520円(同)
松本〜長野〜直江津〜越後湯沢〜大宮:運賃¥6,410円
JR料金が計10,080円/人で、60,480円。
実際には、特急料金の回数券(4枚綴り)を利用し6万円弱。
行程が長く、乗り換えも多く行き先に不安があり、手元に現金を残す為、山さんの持っていたViewカードで支払った。
上高地13:30〜18:30新宿:高速バスは、¥6,000円/人で¥36,000円。
それが、23,000円+6万円=83,000円と、倍以上掛かってしまった。

しかし、大宮駅に19時過ぎには無事到着できた。何よりではないか。
天候に不安を持ちながら強行に山行に出掛けた訳で、この様に問題なく無事帰って来られて、本当に良かったと思った。
結果論ではあるが、無理せずに西穂縦走及び前穂縦走をやらず、「山研」に宿泊した事が、幸いし経済的にも最小限の出費に収まったと思う。
無理をして西穂又は前穂に行き、仮に成功を果たしたとしても、最終日、雨の中を疲れた身体で下りを急ぎ降りてくるのはさぞ辛い物と思われる。
予定通り、予約バスの時間に間に合ったとしても運休を知らされ、それから慌てて代替交通で帰るとしても、どれだけ苦労するかしれない。
その日は、帰れないかもしれない。会社を休む事になったかもしれない。
そんな事を考えると、細かい問題点は有ったにせよ、とっても、ラッキーな山行に終わったと自画自賛している。

出発に先立って、助言頂いた方々や声援を送って頂いた方々にお礼申し上げます。
尚、無事帰還の報告が遅れた事をお詫び申し上げます。
ご心配をお掛けし申し訳有りませんでした。
自宅に着いて食事を摂りながら、「ラッキーさ」を実感していた。
最近にしては珍しく筋肉痛が残っているのが、ルートの厳しさと無理な行動を摂ったのか?と、反省しながら体力増強と的確な判断力、行動を期す事が必要である事を実感しながら、湯舟に浸かりウトウトしてしまった。