408 2012.10.13-15 ★★ 赤岩岳(2,769.0M)・赤沢山(2,678.0M)・西岳(2,758.0M)・燕岳(2,763.0M) ★★
※大天井岳(2,922.1M) ・・・ テン場利用のみ
【コース】
10/13(土) 中房温泉臨時P(06:00)→中房温泉(06:50、1,462M)→第2ベンチ(07:40-50)→富士見ベンチ(08:40-50)→合戦小屋(09:15、2,363M)→合戦沢の頭(09:30、2,489M)→燕山荘(10:10-30、2,680M)→蛙岩(11:00)→大下りの頭(11:20)→切通岩(12:35)→常念岳分岐(12:40)→大天荘(13:05) テント泊
10/14(日) テン場(05:25)→表銀座分岐(05:55)→大天井ヒュッテ(06:00)→貧乏沢入口(06:20)→ビックリ平(06:30)→赤岩岳50M手前標識(07:15)→赤岩岳(07:45、2,769M)→ヒュッテ西岳(08:40)→鞍部(09:00)→赤沢山(09:30、2,678M)→下降点(10:35)→西岳(10:50)→取付点(11:00)→赤岩岳取付点(11:30)→赤岩岳50M手前標識(11:40)→ビックリ平(12:20)→貧乏沢入口(12:25)→大天井ヒュッテ(12:50)→常念岳分岐(12:55)→テン場(13:25-14:00)→表銀座分岐(14:15)→切通岩(14:20)→大下りの頭(15:30)→蛙岩(15:50)→燕山荘(16:20) テント泊
10/15(月) 燕山荘(06:30)→燕岳(07:00)→燕山荘(07:30-08:15)→合戦沢の頭(08:40)→合戦小屋(08:50)→富士見ベンチ(09:10)→第2ベンチ(09:45)→第1ベンチ(10:05)→中房温泉(10:25)→臨時P(10:40) 姨捨PAレストラン(12:10)

【山行記録】
10/13(土) 晴れ
10/14(日) 晴れ
赤岩岳山頂の三角点
酷い藪漕ぎでした。
セッちゃんも苦笑い
酷い藪漕ぎの末、漸く赤沢山の山頂に到着しました。今まで見たことのない新鮮なパノラマが出迎えてくれた!!
西岳山山頂
新鮮な槍ヶ岳にウットリ
赤岩岳への取付にマークが・・・
灌木に助けられる様に登り、
下る事が最良の方法かと・・・
切通岩と大下りの頭の間の捲き道で燕山荘の赤沼健至さんに会いました。大天荘に向かう途中でした。
今期、最後の営業を見届ける為だそうです。
槍穂高方面の谷間の紅葉に目をやり「こんなに綺麗な紅葉は滅多にない」と呟いていたのが印象に残りました。
我等は、赤岩岳・赤沢山に行ったことを話し、赤沢山の岩登りルートのことを話してくれました。
「最近は少ないな」と、
10/15(月) 晴れ
合戦小屋地名の由来

今を遡る桓武天皇の御代…
中房温泉、有明山に住む魏石鬼あり、自らを八面大王と呼称し妖術を使う大鬼雲を起し、
霧を降らし天を飛び、里に出ては財宝、婦女を掠奪し、山野に出ては社寺仏閣を破壊し、
狼藉三昧の明け暮れといわれた。

坂上田村麻呂、魏石鬼を滅ぼさんとするも魔力強く、敗戦の連続と思うにまかせず、
栗尾山の観音堂に願をかけ、霊夢をさずかる。
「三十三節の山鳥の尾で作った矢を使えば…」甲子の年、甲子の月、甲子の刻に生まれた男
矢村の矢助この尾を献上、ついに中房川上流の谷間で大合戦の末、魏石鬼を打ちはたす。
合戦の沢、今の合戦沢をいう。
合戦小屋の下、深い谷間、その地に合戦の歴史あり、今を遡る桓武天皇の御代…

鬼の五体はバラバラに埋められ蘇生を防ぐ、耳塚、首塚、立足等、地名として今に残る。

山鳥の尾を献上した矢村の矢助、夫を魏石鬼に殺された母に育てられる。母は云う。
「命あるもの全て親子、
夫婦の関係あり、殺さばなげくもの必ずあり。」
矢助、一切の殺生をせず成人し、ある時ワナにかかった山鳥を救い放つ。その年の暮矢助
嫁をめとる。三年後坂上田村麻呂との
出会いとなる。嫁のさし出す山鳥の尾を献上、矢助、
永遠の生活を保証する恩賞を得る。翌日、嫁一通の手紙を書き置いて姿なし。
「我、三年前に助けられた山鳥、高恩にむくいるべく、かしづくも、もはやその要もなし。
三十三節の尾羽は、我の尾なし。」と…今を遡る桓武天皇の御代…
合戦の歴史あり、合戦の小屋の下、深い谷間。
平日休みを取っての山行だったので
帰りの高速は空いていて快適でした

高速の休日割引が無いのが誤算
でした。口惜しい!!

【補足】