313 2009.09.19-21 ★★ 劒岳(2,999M)・北方稜線・池ノ平山(2,555M) ★★

【コース】⇒トロリーバス、→徒歩
9/19(土)晴れ 扇沢(06:00-07:00)⇒黒部ダム(07:10)→黒部川(07:30)→内蔵助谷出合(08:20-45)→内蔵助平(10:00-10、1,700M)→ハシゴ谷乗越(11:25-30、2,035M)→丸太橋(12:15-25)→真砂沢ロッジ(12:40-13:00)→源次郎谷出合(13:40-50)→武蔵谷出合(14:45)→剣山荘(15:30)
9/20(日)晴れ 剣山荘(04:30)→一服剱(04:55)→前剱(05:35-40)→平蔵ノ頭(06:10)→カニのタテバイ(06:15-20)→カニのヨコバイ入口(06:30)→早月尾根分岐(06:40)→劒岳(06:50-07:00、2,999M)→長治郎ノ頭(07:50)→池ノ谷乗越(08:30)→池ノ谷ガリー→三ノ窓(09:05-15)→バンド上部(09:40)→小窓(11:10-30)→池ノ平山
南峰(13:30、2,555M)→前衛P(13:45-14:00)→池ノ平小屋(15:00-20)→仙人峠(15:40-50)→仙人池ヒュッテ(16:05)
9/21(月・祝)晴れ 仙人池ヒュッテ(06:15)→分岐(06:30)→二股(07:30-40)→丸太橋(08:10)→ハシゴ谷乗越(09:20-30、2,035M)→内蔵助平(10:40-50、1,700M)→内蔵助谷出合(12:00-10)→黒部ダム下部(12:55-13:05)→黒部ダム(13:30-14:00)⇒扇沢(14:20)
※風呂 「上原の湯」 車中泊:「道の駅 池田」

【補足】下山の日は、高速が渋滞していると思い、大町近郊で車中泊し、翌朝帰宅する事にした。 Y&H.S夫妻さんお勧めの「道の駅 池田」で、買い出しした食材と飲み物で祝杯をあげて、ユックリとした。 翌朝、早めに帰宅したが、渋滞もなく助かった。

【 山行記 】
 10年ほど前から課題山行として、「剱岳・北方稜線」があった。 北方稜線は、長い縦走コースのため山中2泊が必要だ。 コースは、難所が連続するので、荷物の軽量化も不可欠な条件だ。 予備日をいれると4日の休暇が望ましい。 その為、毎年計画しながら、天候不順や他の山行を優先して、延び延びになっていた。
 今年は、海外にも出掛けず、北海道山行も7月下旬に済ませていたので、天気予報だけが気掛かりだった。 そんな中、9月のシルバーウィークが5連休となり、第一候補として浮かび上がった。 気になる天気予報も、前半の3日間は、好天を予想していた。
 
9/18(金) 21:00過ぎ、自宅を出発する。
 高速道路は、1000円固定化と5連休で、激しい渋滞が予想されていた。 そこで、金曜日の夜に自宅を出発して、長野県大町市の扇沢駐車場を目指すことにした。 車の数は、いつもの週末より、明らかに多かった。 しかし、渋滞までには至らず、予定通り深夜1時頃に、到着できた。 ところが、既に駐車場は満杯状態で、やっと空きスペースをみつけて駐車できた。 早速、仮眠して翌日のトロリーバスの始発乗車に備えた。
 
9/19(土) 晴れ
 トロリーバスは、6:30が始発なので、5時に起きて、6時前、切符売り場に向かった。 驚く事に切符売り場は、既に沢山の人で溢れていて、かつて経験の無い、長い行列が出来ていた。 漸く切符を買えた時は、6:30を過ぎていて、始発に間に合わなかった。 2便目の7:00のバスに、乗ることになった。 黒部ダムとの間を往復するバスは、片道7台のバスが30分おきにピストン運転していた。 この時間帯は、対向バスに乗客はいなかった。 こちらからは、満員状態。 午後になるとほぼ逆になり、戻りが混んでくるのだろう。
 黒部ダムに着くと「内蔵助平方面→」の案内があった。 それに沿って進むと、古い鉱山道の入口みたいなところに出た。 旧日電歩道で、黒四ダム建設時が偲ばれる。 いつもは、訪れる人も少ないようだが、この日は沢山の人が訪れていた。 ハシゴ段乗越経由の剣沢ロッジへのルートや、「下の廊下」へのルートを目指しているのだろう。
 沢山の人に戸惑いながら身支度をしていると、Y&H.S夫妻さんとバッタリ出会った。 なんと同じ時刻のバスに乗り合わせていたようで、お互いにビックリした。 今回の異常な人出がもたらした、思わぬ再会に苦笑いした。
 登山道は、初めは広い林道だが10分ほどで、樹林の中を九十九折りする、急な下りとなる。 30分弱で黒部川について、太い角材を横に並べてできた幅1M程の長い橋を渡る。 上流に目を向けると、大きな黒部ダムが観光用放水を行っていて、壮大な景観を見せている。
 小休止の後、Y&H.S夫妻さんより先に歩き始める事にした。 翌日は、北方稜線のどこかの稜線で、再会できるだろうと、声を掛け合った。
 内蔵助谷出合までの登山道は、鋭くえぐられた渓谷の壁を、ヘツッてつくられ、所々狭く険しい場所があり、慎重に進んだ。 30分ほどで下の廊下との分岐を経て、内蔵助谷に入り込んでいく。 直ぐに、展望台のような少し開けた場所があり、休憩している人が居たが、休まずに先を急いだ。 急な登りになって、上から細いロープが垂れていて、悪戦苦闘している2人がいた。 チラッと右に登山道が見えたが気に掛けず、真っ直ぐに2人の所まで攀じ登った。 その先は、段々と踏み跡がなくなり、相変わらずの急登で、引き返す事にした。 先に取り付いていた2人も、おかしいと思ったらしく、登山道を探していた。 その一人が、登山道を見つけて戻ってきたので、そちらに向かって藪を掻き分けて下ると、登山道に出た。 ホッとした。 少し進むと川に出たので、小休止して喉を潤した。
 ルートを間違って30分ほどロスしたが、気を取り直して先を急いだ。 直ぐに急なガラ場が現れ、真っ直ぐに進む人影が見えたが、正規のルートは右に別れていた。 その人影は気になったが、姿が見えなくなったので、声を掛けられず心残りとなった。 後から聞いて判ったのだが、途中で追い越していたY&H.S夫妻さんだった。
 何度も急登に苦しめられ、ルートを間違わないように気をつけて進んだ。 また登山道の途中で、地蜂の巣に気付いて、あわてて駆け足で通り抜けたところもあった。 地蜂が後を追いかけて来る様で、何となく気持ち悪かった。
 漸く、内蔵助平の水場に着いたので、小休止した。 山岳警備隊の二人が、上から内蔵助谷出合に向かうところだった。 先に進むと内蔵助小屋経由の真砂岳への分岐があり、前後にテン場らしきスペースが二箇所ほどあった。 水場が近いので快適そうだ。
 分岐を過ぎて暫くは、傾斜の緩い枯れた沢を辿るが、ハシゴ谷乗越に近づくにつれ勾配が急になった。 息を切らしながらハシゴ段乗越に着くと、一面にブルーベリーが大きな実をつけていた。 早速2〜3個頂いたが、スッパクて美味しくなかった。 その先は、少し登りながら稜線を辿り、ガレた下りを行くとハシゴが出てくる。 前後で、八つ峰末端と剱岳本峰の見渡せる処があり、その景観が素晴らしい。 どこか日本離れしている景観に、心が弾んでウキウキしてくる。 更に下ると深い樹林になり、展望も閉ざされ、鬱蒼とする中をひたすら下る。 沢の音が大きくなると、丸木橋が見えて、仙人池と真砂沢の分岐となる。 真砂沢ロッジでユックリ休む予定なので、沢の水で喉を潤しただけで先を急いだ。 丸太橋の分岐から30分ほど登ると、真砂沢ロッジに着いた。
 ロッジの上部にテン場があるが、Y&H.S夫妻さんは、まだ着いていなかった。 この時は、不思議に思っていたが、まさか道を間違っていたとは思ってもみなかった。 ロッジの入口前にはテラスが設けられて、5人ほど休憩していた。 挽きたてのコーヒーの美味しそうな香りが、心地よかった。 昼食用の弁当を食べながら、ユックリと小休止した。
 テラスで休憩していた人は、皆、仙人池方面に行く人だった。 その中の一人は、今朝、早月小屋から剱岳を登頂して、別山尾根を辿り、剣沢を下降してきたと言っていた。 ロッジの主人の話では、この日、剣沢小屋や剣山荘は、大変込み合う模様。 今日は混まない、池の平小屋や仙人池ロッジも、明日は大混雑するだろうと。 既に予約が、定員をオーバーしているそうだ。
 小休止の後、剣山荘を目指した。 剣沢を遡るが、雪渓が大きく崩れる中、左岸を高捲きし苦しみながら登っていく。 長次郎谷出合では、雪渓がしっかりしていて、しばらく雪渓の中を登っていく。 下山してくる人達は、アイゼンを着けていた。 登りの我等は、何とかアイゼン無しで登れた。 上部で雪渓が大きく崩れた場所があり、再び右岸を高捲いて登らされた。
 途中から、剣沢小屋と剣山荘の分岐があり、剣山荘に向かったが、見上げるような急登のガレ場で、しっかりと苦しめられた。 30分程の急登の末に、漸く緩やかになり樹林の中を進む。 前剣が見えるようになると剣山荘も近くなった。
 新築された剣山荘は、綺麗で快適だった。 受付で
「予約してないんですが・・」
と告げると
「予約無しは泊められないんだよネ。看板を見なかったの?」
と、言われた。
 ビックリして
「黒部ダムから、ハシゴ段乗越と真砂沢ロッジを通って来たんですが、・・・。看板は、気付きませんでした?」
と、答えた。
「そうか、それじゃ〜仕方がないね! 黒部ダムの方には出してなかったから!」
と、言いながら優しく受付してくれた。 ホッとした。
 玄関前には石畳のテラスが拡がっていて、沢山の宿泊客が寛いでいた。 我等もその一角に陣取り、背中に暖かい陽を浴びながら、ビールとお酒で乾杯した。 宿泊部屋は、「称名」で8畳の部屋だった。 そこに11名ほど、押し込められていた。 夕食も混むと思ってユックリしていると、客足に鈍りがある様子で、小屋の主人が声を掛けてあちこちと廻っていた。 それならと、行ってみると、確かに空いているので、早速頂く事にした。 酒類の持ち込みは禁止されていて、食事だけだった。 でも、味噌汁もお替りできて満足できた。 食後も少しお酒を頂いたが、翌日のハードな山行に備えて、早めに休む事にした。 そうしたらキャンセルがでたとの事で、隣の「黒部」の8畳部屋に移動させられた。 そこは、8人でユックリと寝られて、ラッキーだった。
 
9/20(日) 晴れ
 予定の4時に起きて、頼んでいた弁当を一人で一個づつ食べた。 準備もスムーズに出来て、予定の5時より少し早く出発できた。 外は暗かったが、登山者のヘッドランプの列が見えていて、不安は無かった。 少し肌寒い感じだが、登りの為、直ぐに気にならなくなった。 前剣までは休憩しないで登って、着いて一休みした。 しかし、直ぐに後から来た団体パーティに、追い立てられるように、先を急ぐ事になった。
 別山尾根は二度目であり、懐かしかった。 色んなテレビ放送やガイドブックで、よく紹介されている。 難所の鎖場なども見慣れていて、身近に感じながら、気軽に登られた。 カニのタテバイは、少し渋滞で待たされたが、快適に登られた。 過去2回の山頂では、ガスにより展望が得られなかったが、今回は、快晴の中で360度の大パノラマを、たっぷりと満喫できた。 山頂は、沢山の登山者で賑わっていたが、その中にヘルメットを被っている人が、何人も居た。 プロガイド率いるパーティもいて、北方稜線に向けて出発していた。 我等も気を引き締めて出発する事にした。
 過去2度の登頂時に
「何時かは北方稜線に挑戦するぞ!」
との想いでコースに見入っていたが、今回は自分の足で進み、いよいよ挑戦するのだ。 期待と不安の交じり合う、複雑な気持ちで、落ち着かない心境だった。
 コースは、少しの間、稜線の踏み跡を頼りに進むが、程なく急な下りになってくる。 最低鞍部から今度は、急なガレ場を長次郎の頭に向かって登り返す。 頂上近くで、岩を捲きながら斜上する箇所があり、手掛かり・足掛かりが遠くて、気持ち悪い場所があった。 長次郎の頭から、高くなった剱岳本峰を振り返ると、いつもの剣岳よりカッコ良く見えた。 ドッシリとして荒々しい山容に、惚れ惚れしてしまう。 さて難所は、まだまだ始まったばかり、慎重に先を急いだ。
 途中、稜線を長次郎谷側にトラバースするところで、長次郎雪渓の左股側の雪渓を登る、二つの影が見えた。 セッちゃんが、大きな声で呼びかけると、聞こえたようで、手を振るのが見えた。 山仲間のY&H.S夫妻さんだった。 予定では、稜線で出会うはずだったが、少し遅れているようだ。 雪渓の登りが、予想以上に大変で、てこずっているのだろうか? 我等も、先が長いので、改めて、気を引き締めて歩を進めることにした。
 漸く、池ノ谷乗越に着いて、長次郎谷を覗き込んだ。 急なガレ場の先に、大きな雪渓が、遠くまで続いていた。 休憩していた人が、池ノ谷ガリーは反対側だと教えてくれた。 明るい長次郎谷とは反対の、暗いガリーに入っていった。
 池ノ谷ガリーは、ガイドブックなどでその大変さは知っているつもりだったが、想像を遥かに超える悪場であった。 長い、長いガレ場の急な下りで、中央付近に踏み跡らしきものが見えているが、上部からの落石が多くて、とてもその踏み跡を通る勇気(?)が出てこない。 向かって左岸側の淵を辿ったが、右岸を登る人も居たので、どちらが正解なのか不明である。 機会があれば、左右の何れが、より安全なのかを研究したい。 下部で、右岸側の淵に、駆け足で横断して、三の窓への登り返しに入り、安全地帯に向かう。
 三の窓は、幾つかのテントスペースが出来ていて、休憩とテント泊には最適な場所の様だった。 直ぐ下に、残雪も残っていて、水も作れそうだった。 小休止して、鋭気を養い、急な登りのバンドに向かうため、三の窓から少し下る。
 上り返しのバンドも、池ノ谷ガリーほどではないが、急なガレ場で悪場だった。 登りきってから、しばらくは稜線を辿る。
 小窓に至る急な下りが、判りにくく、稜線にケルンがあった為、そちらに進んでしまった。 行き詰まった処から戻り、急な下りの踏み跡を見つけた。 後続する人達に、正しいルートを伝えながら、先行してもらった。 ここでも落石が起きてヒヤッとした。 まさにデンジャラス・ゾーンの連続であった。 下りきると水平に辿るが、途中に雪渓が残る緩いチムニーが現れた。 慎重に通過する。 小窓手前の枯れた沢筋を下る場所では、ベニバナイチゴの実が沢山生っていて頬張った。 甘くて美味しかった。
 小窓では、雪渓への下りに備えて、先行したパーティが休んでいた。 われ等は、雪渓を下らずに池の平山を目指すので、少し稜線沿いに進んだ場所で休憩した。 11時も過ぎたのでお弁当を食べて、少しだけユックリした。
 池の平山へのルートは、想像以上に急で、難所続きであった。 最初のチムニー状の場所で、古いフィックスロープがあったが、上部で左側に回りこむ所を、右側に抜けてしまった。 下りなおして、左側に抜けるのが、とても難しそうだった。 仕方なく、そのまま進んで上を目指したが、草つきの気持ちの悪い岩登りになってしまった。 間違った下部チムニーの、左側からの上部ルートと思われる場所が、遠く左側の痩せた稜線に、急な登りの様相で見えた。 何とか、そこまで四つん這いで辿り着いてホッとした。 ホッとはしたが、更にルートは難儀を余儀なくされ、ハイマツを乗り越えたりしながら、第一ピークに辿り着いた。
 次のピークまでも稜線を行くべきだったが、下部にトラバースしたような、踏み跡らしきものが見えたので、そちらに降りてしまった。 行き詰るが、何とか回り込んで、枯れた沢筋を、稜線目指して登り返した。 その後も、踏み跡らしきものに騙されながら、何とか池の平山南峰に辿り着いた。
 本来であれば、北峰には南峰辺りからロープを使いながら下り、険しい稜線を辿るらしい。 しかし我等は、調査不足で下部の前衛ピーク辺りから取り付くものと、思い込んでいた。 それほど、南峰辺りは、悪場の稜線で、下りルートがあろうとは想像すらできなかった。
 南峰を過ぎると、急に踏み跡がしっかりしていて、前衛ピークまで楽に降りられた。 着くと休憩している人が居た。 その人達を横目に本峰へのルートを探したが、それらしい場所はなかった。 振り返り、南峰を見上げて、北峰へのルートを想像してみたが、南峰から辿るしかないようだった。 もう、登り返す気力もなくなった。 遠い北峰は、諦めた。 相応の時間と体力・技術が、要求されそうで、諦めた。 セッちゃんは、とても悔しそうだった。
 池の平小屋は、見晴らしの良い稜線沿いに見えていた。 急ぐ事もないと想い、ユックリと下っていた。 近くに見えていた小屋は、実は、結構遠かった。 30分ほど余計に歩かされた気分で、すっかり疲れてしまった。 小屋の横のテン場には、沢山のテントが張られていた。 小屋も混んでいるようだった。 かつてない程の賑わいで、歴史に残るような、記録的な賑わいになった様だ。
 小屋の宿泊をお願いしたが、
「予約ないと駄目だよ。 仙人池ヒュッテは、断らないから行って!」
と、アッサリと断られてしまった。
 仕方なく、仙人池に向かおうとすると、Y&H.S夫妻さんが、大きな声で呼び掛けながら、此方に向かってきた。 小窓雪渓を降りて、此方に来たらしい。 少し待って合流し、話を伺った。 すると、この二日間は、波乱万丈な時を過ごされたとのことだった。 私達が小屋泊を断られたのを聞いて、真砂沢ロッジのテン場まで、強行することになった。 名残惜しかったが、お互いの無事を誓って別れた。
 池の平から少し登っていくと、スマートな青年と、行き交った。 よく見るとD山の会のKさんだった。 彼は、今日、北方稜線を踏破して、今夜は、池の平でテント泊だった。 今は、展望の良い仙人峠に登り、写真を撮った帰りだった。 偶然の再会に驚き、場所が場所だけに奇遇に喜び合った。 ユックリと話したいところだが、それぞれの健闘を祈って別れた。 宿無しの我等は、先を急ぐ必要があり、名残惜しかった。
 程なく着いたその仙人峠で、想像より展望が良いので小休止した。 休んでいると、Y&H.S夫妻さんがやってきた。 予定のルートが通行できず、遠回りになるが、此方にこられたそうだ。 またまた、話しに花が咲き、暫く、賑やかになった。 聞いていた他のパーティの人達は、その話に呆れて、驚いていた。 夫妻とも名残惜しかったが、今度こそお別れと、改めて挨拶しなおして、重くなった足を進めた。
 漸く、仙人池ヒュッテに着いた。 とても疲れた。
 仙人池ヒュッテでは、定員80名収容に、120人ほどが詰め掛けていた。 食事は、一回あたり24人しか取れないので、順番待ちの沢山の人が、部屋や外で寛いで待っていた。 我等もビールを買ってきて、外で乾杯した。 休んでいると、お風呂の案内があって、先にセッちゃんが入った。 その後で男性に交代した案内があり入浴した。 風呂場は、狭くて石鹸も使えない、3人浸かると一杯になる湯船だったが、ユックリと浸かり汗を流して、スッキリ出来た。 食事はマダマダなので、ビールをお変わりした。 漸く食事が始まった。 偶然、映画「剱岳 点の記」の山岳監督、多賀谷 治さんと、同じテーブルでご一緒になり、貴重なお話を沢山伺うことが出来て楽しかった。 部屋は、寿司詰め状態で快適とはいえなかった。 でも小屋全体の印象は、趣のあるもてなしで、是非、再来したいと思った。
 
9/21(月・祝) 晴れ
 3日目は、黒部ダムまでなので時間に余裕が有り、小屋の朝ごはんを食べる事にした。 食後もユックリと準備をした。 仙人池からの剱岳(裏剣:八つ峰)を、見惚れながら、沢山の写真を撮った。 チャッカリとセッちゃんは、小屋主人のお母さんと記念写真を撮り、多賀谷 治さんともツーショット写真を撮らせてもらっていた。
 小屋に宿泊した人は、真砂沢方面にも、沢山下っていった。 殆どの人は、剣沢を経由して室堂に向かうようだ。 ハシゴ段乗越に向かう人は、少なかった。 分岐からハシゴ段乗越までは、2人パーティと単独の一人だけと会った。 ハシゴ谷乗越を過ぎて、少し傾斜が緩くなった場所で、Y&H.S夫妻さんが休憩しているところに出くわした。 ここからは、お二人とずっとご一緒することになった。
 内蔵助谷出合までに3名パーティと会い。 その後は、黒部ダムまでに20数名ほどの人に会った。 多くても3〜4人のパーティだったり、岩登りした様子の大きなザックの二人パーティ。 そうかと思うと、わりと軽装備な若い女性の単独者がいたりと、バラエティにとんだ人達に出会った。 このコースも、記録的な入山者数であったのだろう。 黒部ダムが望める橋の手前で、最後の登りに備えて、小休止した。
 漸く黒部ダム上部についたが、休まずバス乗り場に向かった。 トロリーバス乗り場は、一般観光客が大半を占めながら、凄い人だかりだった。 何とかバスに乗り込んで、思ったよりもスムーズに扇沢に着けた。 扇沢の駐車場は、大変な混雑振りだった。 予想はしていたが、その予想を遥かに超える状況だった。 我々は、快晴の中で予定通り3日間を無事過ごすことが出来た。 その事が、とても貴重な日々であり、幸運であったと思った。
 予定通り、麓の「上原の湯」に向った。 なんと反対車線では、麓のゴルフ場から扇沢まで、大渋滞が発生していた。 沢山の観光バスも予定が狂い大変そうだった。 大渋滞に驚きながら「上原の湯」に着いて、ユックリ・ユッタリと汗を流した。 その後に、大町市街地の「すき家」で食事をとった。 「ガスト」に行こうと云いながら勘違いしていた。 着いてみて間違っている事に気がついた。 でも皆、快くお付き合いしてくれた。 ここで遂にビールを飲ませてもらった。 美味かった! そして、スーパーで買出しして、Y&H.S夫妻さんお勧めの「道の駅 池田」で祝杯をあげた。 静かなところで、夜風が涼しくて、心地よかった。 いつもの事で恐縮だが、すっかり飲みすぎてしまった。

ブログ(スナップ写真が見られます)
劒岳・北方稜線 スナップ