百名山の軌跡 2012/02/10

【 プロローグ 】
 2011年11月26日(土)快晴の中、霧が峰・車山山頂に登頂し、相棒のセッちゃんと二人で、無事に百名山を達成しました。

 1977年頃、九州の霧島山の韓国岳に登頂し、百名山の一角に足跡を残してから、延べ34年ほど掛かったことになります。

 無事に全山に登頂して思うことは、まず、相棒のセッちゃんと元気にここまでこれたという、達成感と安堵感、そして感謝の気持ちです。
 そして更に、さすがに日本全国を旅したんだという事です。
 日本百名山の目標が無ければ、利尻島や屋久島を初め、知床にも行かなかったと思います。
 更には、二百名山や三百名山が控えているので、それらを目標にすれば、より一層全国を細かく巡ることになります。
 百名山同様に、あせらずに機会があれば、気長に挑戦していきたいと思います。

 私たち夫婦の百名山巡りは、単なるピークハントではありませんでした。
 その山頂に至る過程・ルートに、興味を持って臨みました。
 その理由を考えてみると、登りたいと思う山や山域に、興味ある色んなコースから辿れ、憧れを持っていたからと思います。
 初期の頃は、百名山は意識しておらず、好きな山やコースに足が向いていたようです。
 例えば、槍ヶ岳は、最も多くの人が利用している上高地から槍沢を辿るルートがあります。

 その他、奥穂高・北穂からの主脈縦走や、東鎌尾根、西鎌尾根、飛騨沢、更には北鎌尾根があります。
 最難関コースの北鎌尾根にも挑戦し、無事に槍ヶ岳に登頂を果たしました。
 これら全ての山行では、充実感に溢れ、大きな達成感に満たされました。
 しかし、山の奥深さは限りなく、氷河公園に行っていないので、次回は是非行ってみたいと考えています。

 また、海外の山へも目を向けるようになり、ヨーロッパアルプスのモンブラン、マッターホルン、モンテローザなどにも登頂できました。

 こんなバリエーションに飛んだ山行ができたのは、周りによき山仲間がいてくれたお陰です。

 沢山の方が、時々に、励ましてくれたお陰と感謝しています。
 同級生をはじめ、同窓会の先輩後輩、U山の会、M山の会の皆さん、ありがとうございました。
 特に、T夫妻とY.S&H夫妻には、沢山の刺激と激励や支援を頂きました。
 皆さんに心から感謝しています。

【 初めの頃 】
 私は、九州の宮崎県都城市の学校に進学し、若干15歳で親元を離れ寮生活を始めました。

 初めて百名山の一角に足跡を残したのは、この学生時代(1977年頃)で、九州の韓国岳(霧島山)に登山した時でした。
 その頃は、百名山の一角と考えた事もなく、天気の良い日にハイキングを楽しんでいました。
 当時は、記録を残す事は考えていませんでした。
 今となっては、詳細などハッキリとしたことが判らず、とても残念に思っています。

 百名山の軌跡を追うことは、セッちゃんとの一寸した夫婦・家族の歴史を語る事にもなります。

 私は、山登り自体に、それほど強い興味を持っていたわけではありません。

 むしろ、険しい登山道で、事故が起こると、怖いものだと思っていました。
 でも、アウトドアのスポーツやキャンプ、旅行、ドライブ等は、好きで興味があったので、機会さえあれば、何事にも挑戦しようと考えていました。
 記憶では、韓国岳(霧島山)に何度か登っていて、幼い家族の手をとって、登った事もありました(1985年頃)。
 当時の愛車は、トヨタのカローラやライトエース(8人乗り、2WD・FR、ディーゼル、1983年頃〜)でした。

 大きく状況が変ったのは、1989年4月からでした。
 それまでは九州で仕事をしていましたが、東京で仕事をするようになり、その年の暮れから家族でスキーを始めました。
 スキー場への行き帰りで、2WDのライトエースでは不安で、4WDの必要性を実感しました。
 オートキャンプも始めて、家族であちこちに出かけました。
 1994年の夏休みは、北海道旅行に家族で出掛け、一週間掛けて、ドライブ&オートキャンプしました。
 この時は、デリカのスターワゴン4WD、ディーゼル車でした。


 更に、折角の機会だからと、
「富士山や日本アルプスに登ってみたい!」
と、考えるようになりました。
 1991年8月の事、富士山挑戦の機会が訪れ、家族で出かけました。

 この頃は全くの初心者で、富士山挑戦も8合目までしか行けず、大変な苦労の中で、経験不足を実感しました。

 富士山登頂には失敗しましたが、北アルプスへの憧れは残っていましたので、手頃な山を探して白馬岳に白羽の矢を立てました。
 1993年7月下旬に下見山行(友人と二人)してから、一週間後の8月第一土日に本番山行(友人家族と2世帯)として行きました。

 テント持参の体力勝負の山行でした。
 無謀といえば無謀な山行で、今振り返れば飛んだ笑い話になる内容でした。
 というのも、オートキャン用のテントやコッヘル(ステンレスの5点セット)・大きなガスバーナーとボンベ等でした。
 ウェアも化繊の速乾性の高いものではなく、木綿の下着とウェアで汗でグッショリでした。
 合羽もゴアテックスなど、知る由もない状況でした。
 初心者を絵に描いた様な出で立ちで、貧乏な大学ワンゲル部そのものでした。
 経験も無いし、経済的にも余裕の無い状況で、病気知らずの頑丈な身体で、体力と気力だけが自慢の頃でした。

 相棒のセッちゃんは、この時の山行が辛くて、以降の私の計画する山行には、参加しなくなりました。

 私の北アルプスへの憧れは衰えず、長男を誘って燕岳に、挑戦しました(1993年8月)。
 この時、できれば槍ヶ岳まで行きたい、と考えていましたが、燕山荘のテント場で雨に見舞われ、先を断念し下山してしまいました。
 燕岳山頂からの展望も、厚い雲で遮られ、全く冴えない山行でした。
 唯一の慰めは、朝にテントの周りを雷鳥が徘徊していて、愛らしい姿が見られたことでした。

 私の無謀な山行計画に、誰も同行してくれなくなり、単独行を好まない寂しがり屋の私は、北アルプスに行けずに、時が過ぎていきました。

 それからは、セッちゃんが計画する、奥武蔵や尾瀬などの日帰り山行を楽しむようになりました。
 体力を持て余し気味の私は、セッちゃんの山行計画が物足らず、高い山をリクエストしていました。

 そんな中、1996年8月、再び富士山に、セッちゃんと二人で挑戦することになりました。
 喜び勇んだ私は、山の本などを買い込んで研究し、山登りの足取りについて
「ユックリと急がずに、一歩一歩、べた足で登る事!」
を心掛けました。
 その成果かどうだか、疑問ですが、何とか無事に、富士山に登頂できました。

 途中、8合目辺りの小屋で仮眠しましたが、その状況は悲惨なものでした。
 更に、夜の開けきらぬ中でのヘッドランプでの登りは、とても大変でした。
 また、日の出を迎えようとするのに、登山道が人で溢れ帰り、身動きが出来なくなりました。
 残り僅かで、お鉢に到着できたのに、已む無く停滞を強いられました。
 登山道の脇のスペースで、腰を降ろして、休憩しながら、ご来光を眺めました。
 「日の出ショー」が一段落すると、登山者も少しづつ動き始めました。

 私達も気を取り直して、お鉢を目指しました。

 漸く、お鉢に着いて、剣が峰を目指そうと、更にお鉢を時計回りに、進みました。
「頭が痛い!」
途中で、セッちゃんが言い出しました。
 軽い高山病のようでした。

 暫く休んで様子を見ましたが、良くなる気配が無いので、下山する事にしました。
 剣が峰に至りませんでしたが、お鉢まで無事に登頂できて、とても嬉しく誇らしく感じました。

 弾みをつけたい私とは裏腹に、セッちゃんは、無理をしない日帰り中心の山行計画に終始していました。

 しょげ返る私を見かねてか、1997年11月に雲取山を計画してくれました。

 歩き始めてから途中の「三条の湯」で、とんでもない事に気づきました。
 自分の認識が甘い物で、この計画を甘く見ていた私達は、危うく遭難しかけたのです。
 この山行は、後々、良い教訓として、想い出深いものになりました。

 翌年の1998年6月は、至仏山登頂を計画して、テント泊する事になりました。

 相変わらずのオートキャンプ用のテントでしたが、コッヘルなどは、軽量化してコンパクトにして行きました。
 セッちゃんに負担を掛けると、後々の山行計画に支障を来たすと思い、私が荷物の2/3程を受け持って行きました。
 尾瀬には毎年1〜2回は訪れていたので、至仏山や燧ケ岳に登りたいと思っていました。
 至仏山は、登山口の鳩待峠からも近いので計画しやすいものでした。
 でも燧ケ岳は、登山口の大清水から遠く、時間が掛かりました。
 また、福島の桧枝岐からでは、車での往復に相当時間が掛かり、計画立案に苦慮していました。
 その結果、山中一泊する計画を立てる事にしました。
 そして、尾瀬ヶ原を一周する山行計画をして、下田代の山小屋に宿泊してみる事にしました。
 この山小屋泊の経験を生かして、燧ケ岳の山行計画を立てました。
 一日目、大清水から尾瀬沼に入り尾瀬沼山荘に宿泊し、翌朝、山頂を目指すものでした。
 1999年9月25日に、6座目となった燧ケ岳に、無事登頂できました。

【 レベルアップ 】
 百名山達成には、本格的に山登りを始めた1999年以降に、山行をご一緒していただいた方々の助言や指導があってのものと感謝しています。

 その大きなきっかけは、1999年11月6日に参加した群馬の妙義山(裏妙義)に行った日帰り山行でした。

 この頃、同窓会の運営で、先輩に山登りの話をしていました。

 そして、その先輩が「U山の会」の事を教えてくれました。
 更に、群馬の妙義山(裏妙義)に日帰りで計画があり、セッちゃんと二人で参加することになりました(11月6日)。
 参加してみると岩だらけの登山コースと頂上での大展望、経験豊富なメンバーの人柄と興味あるお話に、スッカリ魅せられて仕舞いました。
 指導者としての代表のK.Tさんの、面白く興味深い話に、スッカリ虜になってしまいました。
 私もそうですが、セッちゃんも相当に、強く影響を受ける事になりました。
 セッちゃんは、それまでの色んな疑問点が、一変に晴れ晴れした様子でした。
 このK.Tさんは、他に「M山の会」の代表もされていて、長きに渡り登山を楽しんでいる方でした。

 これらの事が大きなきっかけとなって、2000年から、どんどんと、山行三昧の日々が続く事になりました。
 2000年5月、丹沢山(U山の会、尊仏山荘泊)。
 7月23日・24日 槍ヶ岳(二人、槍ヶ岳山荘泊)。

 9月8日〜11日 剣岳(U山の会、剱山荘・雷鳥荘2泊、アルピコバス・西武バス)。
 同16日・17日 尾瀬沼(インディアカ仲間、尾瀬沼ヒュッテ泊)。
 同20日・21日 燧ケ岳(インディアカ仲間、桧枝岐から日帰りピストン)。
 10月7日・9日 苗場山・鳥甲山(U山の会、日帰り×2日、会員宿に泊)。
 同21日・22日 富士山(二人、車中泊、日帰りピストン、訓練山行)。
 11月4日 赤岳・阿弥陀岳(単独、日帰りピストン)。
 同18日・19日 瑞牆山(U山の会、日帰りピストン、民宿に泊)。
 同23日 雲取山(インディアカ仲間、日帰りピストン、訓練山行)。
 同26日 金峰山(単独、日帰りピストン、岩根山荘泊)。
 12月30日〜1月1日 八ヶ岳・赤岳に本格的な雪山デビュー(U山の会+M山の会、赤岳鉱泉小屋・赤岳頂上小屋に2泊)。

 なんと、2000年に百名山を新たに7座登頂し、前年までの7座と併せて14座に増えました。

 また、百名山の再登頂も、燧ケ岳・富士山・雲取山・赤岳と、山行三昧な日々を過ごしていました。

 家族で行った初めての白馬岳山行の時、大雪渓ルートに危険を感じて、栂池自然園から白馬大池経由でテント泊をしました。
 この時は、途中の天狗原から乗鞍岳に登る、急な登山道で、沢山の残雪に驚かされました。
 そして、その僅か一週間後に再来した時は、あっという間に残雪の下の岩場が現れていて、改めてビックリさせられたりと、懐かしく思い出されます。

 憧れの槍ヶ岳に、初めて挑戦した時、快晴の中で登頂でき、360度の大パノラマに酔いしれた事。
 「岩と雪の殿堂」と呼ばれる剱岳に、U山の会のメイン山行で楽しく登った事。

 生憎の天候に拘わらず、果敢に登頂を果たし、望外の風呂付山小屋に宿泊し、ゆっくりと寛げた反省会などなど。

 初期の頃は、行く先々で、ワクワクして楽しく、充実感に満たされていました。
 この頃が、最も楽しくて、充実していた気がします。
 年を重ね、色んな山に挑戦し、経験を積み重ねて、自分に不足する技術なども判断できるようになりました。
 東京都山岳連盟の岩登り教室に半年間通い、岩登りの基本を学びました。
 雪山にも挑戦して、百名山の恵那山や巻機山など、雪山しか登った事がない山も出てきました。

 (八甲田山、安達太良山、磐梯山、浅間山、草津白根山、蓼科山、妙高山、火打山、筑波山、荒島岳、伊吹山、剣山、石鎚山)
 四季を通じて、山歩きに明け暮れる、ノウハウを学ぼうと努力していました。

【 全国を巡るノウハウ 】
 山行計画を作る時は、もっぱら愛車での車中泊が中心でした。

 旅行気分の行き当たりバッタリの計画でしたが、楽しく過ごせました。
 但し、旅先の天候が外れた時は、大変苦労させられました。
 山行中心の愛車も3代目になり、初代が三菱デリカ・スターワゴン(8人乗り、ディーゼル4WD、1994年7月〜2005年5月?排ガス規制で車検不可)で、四季を通じて北から南と走り回りました。

 2代目がトヨタのノア(8人乗り、フルタイム4WD、2005年2月〜2010年7月、18万キロ、5.5年間で約11万キロ走行)で、初めてカーナビと、テレビを搭載し、車中泊が更に楽しめるようになりました。
 また、ETCも搭載しましたので、高速料金も安く利用できる様になりました。
 3代目の現在は、三菱デリカD5(7人乗り、4WD、2010年8月〜)で、快適な車中泊と旅行・ドライブを楽しんでいます。

 横道に逸れますが、現在の百名山が日本全国に分布せずに、ある地域に偏って選定されていたら、今のような大きなブームには至らなかった様に思います。

 標高や難易度の高い山は、北アルプスや南アルプス・中央アルプス・八ヶ岳の日本アルプスに集中していて、標高順のベスト百を見ても、2,667M以上なければならず「富士山」の1番目を除いて、唯一「白山」が90番目に位置づけられていて、他の98座は全て日本アルプス(上記の区域)に属しています。

【 課題を設けて計画する 】
 話が前後しますが、九州出身の私とセッちゃんは、山行を重ねるうちに
「九州の○○山は、良い山ですよね?」
などと話しかけられ、九州では霧島山の韓国岳や高千穂ノ峰しか登っていないのが、心苦しく、恥しくなっていました。
「九州山行を計画しなくては!」
と思っていました。
 そこで2005年の5月連休に九州に赴き、2日に九重山(二人、車中泊、55座目)に登頂しました。

 しかし、他の百名山には天候不順で登れませんでした。
 この頃は、関東周辺の百名山や目ぼしい山は、ほぼ登りつくしている状況でした。

 私が百名山達成を意識し始めたのは、2006年10月7日〜9日、光岳〜聖岳に周回山行した時で、残りが31座となりました。
「何とか達成できるかなぁ〜」
と、漠然と考えていたように思います。
 この時の聖岳は、69座目の登頂となり、日本山岳標高ベスト100の21番目に高い山であり、国内の3000M峰21座、全てにも登頂した記念の山でした。
 この後に、四国・九州・北海道などの、遠くて手強い、難関とされる山々が残っていました。

 結局、九州には何度か赴く事になりましたが、天候不良などでなかなか捗りませんでした。
 2008年12月は年末年始休暇を利用して赴きましたが、30日に開門岳(二人、車中泊、90座目)しか登れませんでした。
 また、2009年11月に機会があり、21日に阿蘇山(二人、車中泊、96座目)、同23日に祖母山(二人、車中泊、97座目)と少しづつ増やしていきました。

 北海道の山は、難易度で云えば厳しく難しい山岳に分類され、苦労させられました。

 2006年9月に初めて挑戦し、17日に大雪山(66座目)、21日にトムラウシ山(67座目)に登頂しました。
 しかし、台風が直撃し、百名山は、この二山しか登れませんでした。
 2007年8月に二度目に訪れ、20日に利尻山、22日に羅臼岳、23日に斜里岳、24日に雌阿寒岳、25日に十勝岳と成果が出ました(79〜83座目)。
 三度目の正直で2009年7月に再訪し、29日に幌尻岳(93座目)、31日に後方羊蹄山(94座目)に登頂を果たし、北海道の百名山を終える事が出来て、ホッとしました。

【 いよいよ達成間近 】
 さて、最も苦労させられた一つ、屋久島の宮之浦岳は、2007年暮れの年末年始休暇を利用して目指しましたが、運悪く天候不順で大雨に祟られ山行を中止しました。
 この時は、87座目として挑戦したのですが、失敗し、他の残った百名山に精を出すことになりました。
 そして、2度目の挑戦は、2011年1月10日〜12日に計画・実行しました。

 しかし、この時も、歴史的な大雪に見舞われ、途中迄で撤退しました。
 結局、2010年11月に98座目となった大台ケ原に登頂しましたが、97座目の祖母山から1年経っていて、それから、更に6ヶ月の月日が流れていました。
 そんな宮之浦岳は、2011年5月22日(日)の9:40に、3度目の挑戦にして、漸く登頂できました。


 これで百名山も99座を登頂したことになり、残すところ1座、霧ヶ峰のみとなりました。

 改めて、振り返ってみると、色んな方々の助言や支援の賜物と感謝しています。
 一時は、皆に声を掛けて、願わくば百名山達成の「霧ヶ峰」にご一緒していただき、一緒にお祝いできればと、勝手に考えていました。

 冒頭でも触れましたが、2011年11月26日(土)快晴の中、霧が峰・車山山頂に登頂し、無事、百名山を完登できました。
 セッちゃんと二人での、いつもの山行で、静かにお祝いしました。
 お世話になった方々に、声を掛けずに、勝手に登頂してしまい、申し訳なく思っていますが、こんな山行が、私たち夫婦には似合っているのかなと、改めて感じました。

【 補足資料 】
百名山への軌跡 年譜版

@黎明期(1977年10月〜1989年3月、12年)
 九州に於いての活動。 学生時代〜家族とのハイキングとして楽しんでいた。
 
A独学停滞期(1989年4月〜1999年11月、10年)
 埼玉に在住し夢が膨らむ。 健康で体力だけが自慢の貧乏山行。 夢は大きいが無理が祟って停滞。

B飛躍期(1999年11月6日〜2006年10月、7年)
 U山の会、M山の会、Y.S&H.S夫妻と出会う。 キリマンジャロ(セッちゃんだけ)、モンブラン(二人で)に登頂。
 先輩諸兄に教えを賜る。 独自にガイド本等で学習。 実践を充実させる。 雪山の西穂高岳にプロガイド(ツベェート、日本山岳ガイド協会所属・初の外国人登攀ガイド)のツアーにセッちゃんと二人で参加。 東京都山岳連盟の岩登り教室を受講。 バリエーションルートに挑戦。

C達成期(2006年11月〜現在に至る、5年)
 残り31座となり意識し始める。 マッターホルンの登頂(2008年8月)で海外登山を封印。

100 2011.11.26 霧が峰・車山
99 2011.05.22 宮之浦岳(3度目の挑戦で達成)
98 2010.11.20 大台ケ原
97 2009.11.23 祖母山
96 2009.11.21 阿蘇山(3度目の挑戦で達成)
95 2009.08.01 八幡平
94 2009.07.31 後方羊蹄山
93 2009.07.29 幌尻岳(記録的な長雨で川が増水、沢登り)
92 2009.05.02 大山(残雪期)
91 2009.03.20-22 大峰山(残雪期)
90 2008.12.30 開門岳(天候不順で唯一の登頂)
89 2008.09.23 高妻山
88 2008.05.18 雨飾山(残雪期)
87 2008.05.03-04 八甲田山(残雪期)
86 2007.10.13 会津駒ケ岳(偶然にM山の会のK.Tさん、N.Sさん、T.Iさんに遭遇)
85 2007.10.06-07 朝日岳
84 2007.09.29 早池峰山
83 2007.08.25 十勝岳
82 2007.08.24 雌阿寒岳
81 2007.08.23 斜里岳
80 2007.08.22 羅臼岳
79 2007.08.20 利尻山
78 2007.02.13 荒島岳(雪山)
77 2007.02.12 伊吹山(雪山)
76 2007.01.28 草津白根山(雪山)
75 2007.01.14 恵那山(雪山)
74 2006.12.31 石鎚山(雪山、鎖場の直登でヒヤリ)
73 2006.12.30 剣山(雪山)
72 2006.11.04 平ヶ岳
71 2006.11.03 越後(魚沼)駒ケ岳
70 2006.10.28 皇海山
69 2006.10.09 聖岳
68 2006.10.08 光岳
67 2006.09.21 トムラウシ山
66 2006.09.17 大雪山
65 2006.09.03 月山
64 2006.03.20 天城山
63 2006.01.22 筑波山(雪山)
62 2005.11.05 岩手山
61 2005.11.04 蔵王山(熊野岳・刈田岳)
60 2005.10.02 武尊山
59 2005.07.16 間ノ岳
58 2005.07.02 岩木山
57 2005.06.18 吾妻山(西吾妻山、東吾妻山は2007.10.14)
56 2005.05.28 乗鞍岳(残雪期でロングコース)
55 2005.05.02 九重山
54 2005.03.20 磐梯山(雪山、急な雪壁に難儀)
53 2005.03.12 那須岳(茶臼岳、三本槍は2005.04.10、雪山)
52 2005.01.29 安達太良山(雪山、黒金小屋泊、温泉がGOOD!!)
51 2004.12.11 空木岳(避難小屋泊、初雪有り)
50 2004.09.19 赤石岳
49 2004.09.19 荒川岳
48 2004.08.13 塩見岳
47 2004.07.10 日光白根山
46 2004.07.03 笠ヶ岳
45 2004.06.05 火打山(残雪期)
44 2004.06.04 妙高山(残雪期、藪漕ぎで難儀)
43 2004.05.23 白山(残雪期)
42 2004.05.07-08 巻機山(残雪期、避難小屋泊)
41 2004.05.02 御嶽山(残雪期、テント泊)
40 2004.05.01 木曽駒ヶ岳(残雪期、宝剣岳は2007.09.09)
39 2004.02.21 美ヶ原(雪山)
38 2003.12.21 赤城山(雪山、駒ケ岳、黒桧山は2007.01.27)
37 2003.11.02 焼岳
36 2003.08.03 鳥海山(セッちゃんは、2005.07.03)
35 2003.07.20 黒部五郎岳
34 2003.07.19 薬師岳
33 2003.01.25 蓼科山(雪山)
32 2002.07.20 鷲羽岳
31 2002.07.20 水晶岳
30 2002.07.06 飯豊山(飯豊本山・大日岳)
29 2002.06.29 四阿山(セッちゃんは、2004.02.01)
28 2002.06.21 北岳
27 2002.06.08 鳳凰三山
26 2002.05.04 常念岳
25 2002.02.22 浅間山(雪山)
24 2001.12.29 甲武信岳(雪山)
23 2001.10.06 谷川岳
22 2001.09.08 奥穂高岳
21 2001.08.18 五竜岳
20 2001.08.18 鹿島槍ヶ岳
19 2001.07.14 大菩薩嶺(セッちゃんは、2003.01.18)
18 2001.07.02 立山(雄山)
17 2001.06.09 男体山
16 2001.05.04 仙丈ケ岳(残雪期)
15 2001.05.03 甲斐駒ケ岳(残雪期)
14 2000.11.26 金峰山(セッちゃんは、2002.01.14)
13 2000.11.18 瑞牆山
12 2000.11.04 赤岳(セッちゃんは、2001.11.24)
11 2000.10.07 苗場山
10 2000.09.10 剱岳
09 2000.07.23 槍ヶ岳
08 2000.05.13-14 丹沢山(蛭ガ岳は2007.12.08)
07 1999.11.21 両神山
06 1999.09.25 燧ケ岳
05 1999.06.?? 至仏山
04 1997.11.02 雲取山
03 1996.08.03 富士山
02 1993.07.25 白馬岳(セッちゃんは、1993.08.05)
01 1977.10.?? 韓国岳(霧島山)もっと前かも?