101 「四度目のエベレスト」村口徳行
村口徳行(むらぐち のりゆき)
1956年東京都生まれ。日大山岳部で本格的な登山を始める。NHKスペシャル、TBS新世界紀行、テレビ朝日ネイチャリングスペシャルなどで、ヒマラヤをはじめとする高峰登山を25回以上も撮影した日本屈指の高所カメラマン。2004年エベレスト・ローツェ登頂の実績で「第54回日本スポーツ賞競技団体別最優秀賞」受賞。
第8章 高所と下界
都会の冒険
高所から帰国してボーッとしている期間、最も苦手なのがラッシュ時の電車だ。だったら乗らなければいいのだが、仕事の都合で避けられなかったりするから辛い。そもそも見ず知らずの他人同士が、あれほど密着し合ったまま移動するということに無理がある。いや、慣れている人には平気なのだろうが、僕には無理なのだ。高所から戻ってしばらくの間は、ラッシュの電車に乗る程の苦行はない。
高所と都会のストレスは、互いに異質すぎる。その間に挟まれて翻弄されていると、つい、人生を楽なほうへ向けてみたくなるのは確かだ。しかし僕は、壊れる手前で都会の普通を取り戻し、それを繰り返してどうにかやってきた。
目に見えにくい低圧や低酸素という問題はあるが、僕にとっては高所でのストレスの方がわかりやすい。自然と自分との間に、因果関係が必ずあるからだ。それを理解してしまえば、ストレスと一緒に平気で暮らせる。
しかし都会でのストレスはわかりにくくて、僕の手には負いきれない。対処も回避もできずに、ひたすら耐えるか翻弄されるしかないのだ。人がつくった環境でのストレスがわかりにくというのは、とりもなおさず人がわかりにくいからなのだろう。
そういう都会で生き抜いている人は、僕はたくましいと認めざるを得ない。服装を整え、朝夕のラッシュの電車に乗り、決まった仕事をこなし、人間関係をソツなく良好に保ちながら毎日を過ごす器量が、果たして僕にあるのだろうか。・・・・・・ないと思う。おそらく限りなく浮いた存在となるか、脱落して逃げ出すかだ。
人が行ってはならないところにばかり行っているので、日本に戻ると冒険者のようにいわれるが、そのたびに面映ゆい。僕にとっては高所でのたいていのストレスが予測のうちだ。つまり、耐えるべきことはあらかじめ見えている。
これが見えていなかったらかなりの恐怖だろう。しかし都会で生き抜く人たちは、見えないストレスの海を毎日泳いでいるわけだし、しかもいちいち恐怖におののいたりはしていられないのだから、こちらのほうこそ冒険者ではないのか。
ボーッとしている期間はとくに、僕には、街の仕事人たちが冒険の精鋭のように思われて仕方がない。気後れさえする。こうして僕は、またあのヒマラヤの空をときどき愛しく思い出す。
高い山に登るからといって、我々は特別な人間でもなんでもない。どこか少し常人ではないのかもしれないが、おおむね並だ。基本的にその自覚が必要だと思う。一般社会の概念からとらえるならば、どちらかというと「相変わらずしょうもないことをやってるな」・・・・・・の世界だ。
高層ビルの谷間から見る東京の夕日もけっこう美しい。が、都会の冒険者たちは、夕日にかまう素振りもなく、前を向いて急ぎ足だ。あのチベットの少年は、今もゾッキョを追い、山道を歩いているのだろう。
僕も、ボーッとしている場合ではないのだ、本当は・・・・・・。